人生楽しんでますか?
Gin8です。
久しぶりに子ども達との面会の日。
心がワクワクしてる反面、会ったらまずどのように声をかけようか考えると、ドキドキがとまりません。
まるで、久しぶりに恋人に会う前夜かのような感覚というべきでしょうか。
夜も眠れない。
今回はそんな子ども達との面会であった出来事を話していこうと思います。
是非、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
目次
面会当日
自分の子どもでも、久しぶりに会うと緊張するし「元気にしてるかな」「友達増えたかな」「大きくなったかな」様々な思いで、会いに行く道中は想像が膨らんで仕方ありません。
今日はどこに行きたいと言うかな?
何か欲しい物があるのかな?
何を話してくれるかな?
勉強はうまくいっているかな?
小学校生活はどうかな?
幼稚園生活はどうかな?
二人の小さい子どもの事を考えると、心配で心配で会うまでいろんな事を考えてしまいます。
一緒に暮らしているなら、こういった事は毎日自分の目で見れるけれど、今はそうもいかない・・・・。
月に1〜2回ほどの、ほんの何時間が、今の僕にとって子ども達の生活を知ることができる貴重な時間です。
なんて声をかけたらいいのだろ
子ども達を迎えに行く中で、待ち合わせの場所が近づきます。
鼓動が早くなり、期待と緊張でたまりません。
車を止めて子どもたちに会ったら、まずなんて声をかけようか。
「おはよう」「元気か?」「今日はどこ行きたいか?「朝ご飯食べた?」「大きくなったね」
いろいろ考えてはみるものの、なんて声をかけるのが一番いいのか毎回本当に悩んでしまいます。笑
皆さん、こういった時って、まずなんて最初に話したらいいと思いますか?笑
楽しい時間はすぐに過ぎる
車を止めると、子ども達から車に飛び乗ってきます。
「パパ早く行くよ」
おはようとか、元気?とかそう言った言葉は一切ありません。笑
こんな些細な事でも、なんか「パパ」と呼んでくれる言葉に、心がホッとすると言うか、なんか安心します・・・。
ただ・・・・本当にどこに行きたいのか全く分からないまま出発するのが、いつもの定番です!笑
そして、いつものように子ども達が大好きな公園か、ゲームセンターに行きます。
どこでもいいんです。本当に子ども達と一緒に居れる時間っていうのは貴重です。
離婚して気づくようでは本当にダメ!
毎日一緒に居ると大変なのはもちろんわかります。
でも離れて思うのは、子ども達にとって親っていうのは、一番大事な「心のよりどころ」であるのは間違いありません。
それとは逆に、親っていうのも、子ども達が一生懸命楽しく居てくれるからこそ、力が湧くし、今日も頑張ろうって思えるのだと思います。
かけがえのない時間っていうのはあっという間に過ぎ、楽しい時間っていうのは長くは続いてくれない。
だからこそ大切に過ごさないといけないのだと思います。
初めて僕の実家に遊びに行きたいと言われた
今まで子ども達は、僕の実家には「怖くて行きたくないと」言われていて、一度すら実家に遊びにきたことがありません。
しかし、今回初めて「パパのおうちはどこなの?」と言われてビックリ!
本当に行けるのだろうかと不安に思いながらも実家に連れて行ってみることにしました。
そこでは僕の母親も待っており、本当にくるのだろうかと不安に思って待っていました。
しかし、二人の子ども達は恐る恐る家に入り、しっかり靴を並べて「お邪魔します」との一言になぜか涙が出そうになるくらいに嬉しかったのを忘れません。
初めて聞く言葉の一つ一つに、成長する姿を見ることができて、幸せに感じました。
つかの間の時間に言われた言葉
実家では、車のおもちゃで遊んだり、絵を書いたり、お人形でおままごとをしたりと楽しい時間を過ごせました。
しかし、その時間も長くは続きません。
夕方になり、帰らなければならない時間になります。
「そろそろ帰ろうか」と子ども達に伝えると「嫌だ!」と一言。
すごく嬉しいような、苦しいような思いに心が痛みます。
しかし、約束を守らなければ次に会うことができなくなるのでそこは仕方なく帰ることを伝えます。
しかし、そこでショックな一言を言われてしまいます・・・・。
「パパはなんで僕たちを捨てたの?」
あまりにも突然なことに言葉が出ません・・・・・。
僕の中で全くもって想像していない言葉になんて返せばいいのかわかりませんでした。
「捨ててなんていないよ」ただただその言葉しかでません。
娘も「パパは捨ててなんていないんだよ」と言ってくれましたが、息子はまだ4歳。
事情もわからないうえに、一緒に住んでいない事でそう言われても仕方ないのです。
そうだよな・・・・。
パパっ子だった息子からしたら当然の質問・・・・。
僕の心はこの言葉のパンチにノックアウトしました!
まとめ
実の子どもと一緒に居れるその時間は、本当にかけがえのない時間です。
当たり前のようで当たり前のようにならない時間ってもどかしい。
僕が子ども達の生活がわからないのと一緒で、子ども達からしたら僕の生活もわからない。
それだけ共に生活する時間の大切さを深く感じる日でした。
もちろん、離婚を後悔しているわけではありませんが、子どもとのかけがえのない時間を共にできる時間が、限りなく減るということの悲しさだけは本当に辛い。
僕は当たり前のように両親に育てられ、今でも父親、母親共に居ます。
しかし僕の子ども達にとって、今は母親しかいません・・・・・。
そんな中でもしっかりと成長してくれている姿、言葉遣い、挨拶、優しさ、思いやり、どれをとっても立派に育ってくれています。
僕が辛く涙が出ると言っても、子ども達はその倍・・いや、何十倍もの涙を流してきているのではないかと思っています・・・。
本当に強い子ども達の姿に力をもらいながら、子どもから言われた言葉を「しっかり受け止めて僕も強く生きていこう」と今回は思いました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
それではまた!